母と参加した老人ホーム「ひさの」十周年講演会 ~老いと死を受け入れるということ~

10月5日、母と一緒に有料老人ホーム「ひさの」の十周年記念講演会に参加してきました。場所は宗像ユリックス。会場には多くの人が集まっていて、関心の高さが伺えました。91歳になる母が「ぜひ行きたい」というので二人で参加したのですが、本当に有意義な時間でした。

「ひさの」との出会い

「ひさの」を知ったのは、7年ほど前、父が亡くなった直後です。父の死を通して、終末期の医療や介護のあり方に疑問を抱いていた時に出会いました。「ひさの」の「自然な状態で看取りまでしてくれる」という理念に共感し、現在に至ります。

「ひさの」は、代表の田中好さんがお祖母様の自宅を改装して始めた老人ホームです。田中さんは看護師として福岡県外で働かれていたそうですが、お祖母様を自宅で看取ったことをきっかけに、帰郷しこの老人ホームを設立されたそうです。

もっと早く「ひさの」を知っていれば、父はあんなに苦しまずに済んだのではないか…。そう思うと、本当に悔しくてなりませんでした。病院では、終末期になっても医療行為をやめてくれず、父を家に帰してくれませんでした。父が家族から遠く離れていくような気がして、毎日毎日、面会に通いました。結局、父は家に帰ることなく、病院で息を引き取りました。

田中さんと話していると、病院の冷たさとは全く違う、温かいものを感じます。病院や介護施設は「管理」が主であり、収容所のような感じを受けていましたが、「ひさの」にはそれがありません。まるで家にいるように、居心地が良く、心が癒される空間です。

講演会で心に残った言葉

講演会では、様々な話が聞けました。特に心に残った言葉や思い浮かんだ言葉をいくつか書き記します。

「老いてもボケても大丈夫、最後まで暮らしの中に居る」
これは講演会のサブタイトルです。人は誰でも、老い、そして死を迎えます。それを自然なこととして受け止め、最後まで「普段の暮らし」の中で生きていく。そんな当たり前のことが、今の社会では難しくなってしまっているのかもしれません。

「介護には、指導・励まし・訓練はいらない」
そっとしておいてほしい。

「子どもの世話にはなりたくないと思っている人も多いでしょう。しかし、その思いが叶わなくなる時が必ず来ます。それは、絶望ではなく自然な姿です。それを包み隠さず見せていくのが、老人の務めなのかもしれません。」
厳しいようですが、現実をしっかり受け止め、老いの姿を身近な人に見せていくことが大切です。家族は看取りをすることを通して、「死は怖くない。自然なことだ」というメッセージを受け取ることができるのです。


「出来ないことを嘆かず、できることを感謝する。すると楽になる。必ず死ぬときはやってくる。それまで、精一杯生きましょう」


「悪あがきせず、老死をありのままに受け入れることが、本当に楽」


「老いと死を視野に入れて医療と関わる」
医療は、あくまでも人生を支えるための脇役。自分がどのように終末期を過ごしたいのかをしっかり考えないといけないと思いました。

「がんの対策には、手術、抗がん剤以外に治療しないという選択肢がある」
早期発見、早期治療が叫ばれる現代ですが、手遅れだからこその幸せもあるという言葉が印象的でした。

「自分は延命しないと思っていても、息子が突然やってきて救急車を読んでしまうと、延命を望むことにつながる。医者は、本人よりも家族の意見を聞く傾向がある」
終末期医療は、人生の問題です。自分の意思をしっかりと家族に伝えておくことが大切だと感じました。

「終末期の医療や介護サービスは余計なお世話が多い」
本当に必要な医療や介護とは何か、改めて考えさせられる言葉でした。

講演会に参加して

今回の講演会に参加して、老いや死に対する考え方が深まりました。老いや死は、決して恐れるものではなく、自然に受け入れるべきもの。そして、人生の最後をどのように過ごすのか、自分自身で決めることが大切なのだと感じました。

「ひさの」のような、老いと死を自然な姿として受け止めて接してくれる場所が、もっと増えていくことを願っています。