いつの頃からでしょうか、患者さんの治癒力を信頼できるようになったのは。それまでは、私が治すんだと気構えて一生懸命に自らを消耗していました。
治癒力は生命力と言い換えることができます。この力は生を受けてから命が尽きる最後の時まで、身体を保つために休み無く働き続けています。
そんな有り難い力と供に生きているなんて、頼もしいではありませんか。
生きていく中で、生命力、治癒力は、私たちが気づかなくても気づいても、無視していても働いてくれます。また、生命力を損なうようなことをたくさんしても、ある程度は許容してくれます。逆に、生命力が働きやすいように手助けするときちんと応えてくれます。
治癒力を抜きにしては、生命はありえません。また、治療も成り立ちません。
「病は患者さん自身の力でしか治せないんだ。私はそのお手伝いをしてるんだ。」と、今では思えるようになっています。
あるとき、90歳近い気丈な女性の患者さんと、こんなやり取りがありました。
私が治すんじゃ無いんですよ、あなたの力が治すんですよ。
そげなこつ言わんで、先生がちゃんと治してくれな、困りますばい
そうですよね。謹んで治療させて頂きます。
ああ、よかった
私は裏方として鍼やお灸をするんですけど。主役はあくまでもあなた自身ですよと言いたかったのですが。言葉足らずでした。自分の思いや考えをきちんと伝えるのは難しいものです。
『失われた物語を求めて』という書籍に紹介したい一文があります。
人間の中にある生命力を認めると、医学は大工仕事より園芸に近いものになります。わたしは薔薇を「修繕」するわけではない。薔薇は生の過程なのだから、その過程を知る者として、わたしは枝を落としたりして世話をすることで、それが病気でも最大の生命力を発揮できるように協力する。
Rachel Naomi Remen; Kitchen Table Wisdom(レイチェル・ナオミ・リーメン 藤本和子(編訳)(2000年)失われた物語を求めて 中央公論新社)195頁
内なる生命力に気づき、感謝し、慎み、邪魔をしないように心掛ければ、あなたの身体は必ず素晴らしい力を発揮してあなたを支えてくれることでしょう。
その人の力をもって再起させるのみ_史記_扁鵲倉公列伝