大學 朱熹章句 3

トドマルヲシリテ・シコウシテノチニ・サダマルコトアリ、サダマリテ・シコウシテノチニ・ヨクシズカナリ、
知止而后有定、定而后能靜、
シズカニシテ・シコウシテノチニ・ヨクヤスシ、ヤスウシテ・シコウシテノチニ・ヨクオモンハカル、
靜而后能安、安而后能慮、
オモンハカリテ・シコウシテノチニ・ヨク・ウ。
慮而后能得。

止まる場に止まれば、ますます定まるというは、事物の道理である。
これはすべてにおいて通ずるものである。
まず、止まりて動くこと無ければ、定まるものなのだ。
長く定っておると心が静かになってくる。
さて、静かな安穏なる心持になってくると、何ごとも自由に思い計る事ができる。
よって、慮ることが軽はずみにならずに、各々その正しき道理を得る事ができるのだ。
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モノ・ホンマツ・アリ、コト・シュウシ・アリ、センコウスルトコロヲ・シラバ・スナハチ・ミチニ・チカシ。
物有本末、事有終始。知所先後則近道矣。

本とは自分の明徳。
末とは他人の明徳である。
始とは自分の明徳を明らかにすること。
終とは、他人の旧く穢れた徳を、新しく清めることである。

このように、先にすべき事と後にすべき事が理解できれば、
聖人の行なう心に近づいたともいえる。

すべて事物には本末(もと・すえ)の定めがあるものだ。

我が主君や父母は本である。他国の君主や他人の親は末である。
本を先ず貴みて、次に末を貴む。
これが、本に始まりて末に終るべき道理である。

しかしながら、世の中には、我が両親には粗末な対応をしておきながら、
他人との交際には一生懸命で、世間からの評判の良い輩がある。
よくよく自分を戒めて、先後の道を失うべからず。